2012-11-22

エヴァンゲリオン新劇場版: Q 二回目鑑賞 (ネタバレあり)

公開初日の 11/17 (土) に「ヱヴァンゲリヲン新劇場版: Q」を二回観てきました。一回目はエヴァ好きな友達達と一緒に観劇。その後、昼食を摂りながら友達らと諸説議論。色々と騒ぎました (当然ですよね!)。で、皆と別れて二回目の観劇。

映画を観終えたら、友達にメールを送りました。本エントリーは、そのメールに手を加えたものです。

感想

二回目で一回目とかなり印象が変わりました。一回目は新しい設定・先の読めないストーリー、謎の用語に戸惑っていたのだと思います。しかし、二回目ともなると新設定に驚くことはありませんし、ストーリーも先が読めています。すると、一回目観た時には聞き逃していた台詞が沢山あることに気がつきました。映画の世界観に浸って楽しむことができました。

絶望だけしか残らなかった映画に、希望は残っていると思える様になりました。

思い返せば「破」を観た時も、アスカが再起不能になったショックから「エヴァにこんな機能があるなんて!!」という怒濤の展開に頭がついていかなかったものです。本当に「破」を楽しめたのは二回目からでした。今回の Q は 破 よりも破壊力があるので、本当に楽しめるのは三回目以降になるのではないかと思います。

「破」予告編について

一回目観劇後、破の予告編が全く使われていないことに全員がショックを受けました。

で、誰かがあれは「予告編」ではなく破から Q の間を描く「ダイジェスト」だと言いました。これは目から鱗。かなり納得。

ネットを見ると、同じ意見が各所で出ている様ですね。

エヴァはテレビ版「第弐拾四話」「第弐拾伍話」で予告にちゃんとしない予告を入れるというゴールデンタイムのアニメとしては信じられない事をやりましたし、Q の劇場映画予告編でまさかのピアノ・アニメーションだけという離れわざをやってくれて「流石エヴァ」と思いました。でも、破の予告編がワンカットも使われないとか、リツコ博士風に言えば「ありえないわ!!」な展開に言葉も出ません。

ガキシンジについて

一回目観劇後、アスカがシンジを「ガキシンジ」と呼んでいることがどうも乱暴という話が出ました。

見直してみると、アスカは最初から「ガキシンジ」と呼んではいないのですね。アスカが最初に呼ぶシンジの呼び方は、破同様「バカシンジ」でした。「ガキ」と呼ぶとのは、シンジがレイと一緒に逃亡した時。「あれじゃあ、バカじゃなくてガキね」と切り捨ててからでした。

後半でシンジと遭遇した時も「バカシンジ」と呼んでいます。しかし、エヴァに乗っていることを知り「ガキシンジ」に呼ぶようになりました。

アスカとマリと姫について

一回目観劇後、今回はマリがサポート役に回っていた。もっとメインに戦って欲しい、という話題が出ました。

映画を見て思ったのですが、アスカ・マリは「シンジはアスカを助けなければいけない」という共通認識を持っている様に感じました。具体的な台詞は三回。

  • アスカとシンジの最初の面会時、アスカは「なぜ助けてくれなかった」のかと問いつめます
  • セントラル・ドグマでの戦闘中、マリは「あんたが姫を助けなきゃ」と言います
  • ラスト近く、エントリー・プラグの中でいじけているシンジに対してアスカは「あんたは私を助けてくれない」と言います

時系列を遡れば、破から Q の間、シンジはずっとエントリー・プラグの中に居てアスカを助けられる状態ではありませんでした。すると、「助けてくれなかった」というのは第 9 使徒に寄生された時のことを指している様に思えます。あの時、シンジは第 9 使徒と戦いはしませんでしたが、アスカを助けようともしませんでした。結局、ダミー・プラグに全権を与けて (奪われて) アスカを「助けなかった」ことになります。これが、過去にシンジがアスカを助けなかった事だと思います。

その後、シンジは「世界がどうなってもいい」「でも綾波だけは助ける」と言ってレイを助けようとします。結果、サード・インパクトを引き起こすわけですが、アスカにしてみれば自分は助けなかったくせにレイはサード・インパクトを起こしても助けようとした、と比較された様に思い傷ついたのかもしれません。

その鬱積が 14 年間溜まっていたところで初面会。アスカは「怒りと悲しみの累積」と言ってシンジに突っかかります。

マリからは「アスカがシンジに会いたがっていた」様な仄めかしを受けて、アスカは一蹴します。このアスカの心情はいかばかりか?

話は変わって、今のアスカをシンジが助けなければいけない、という話。その件については全く分かっていないんですが、マリがアスカを姫と呼びサポート役に徹しているのはそういう背景があるからでは? と考えてみたり。

アイキャッチについて

「序」の「you are (not) alone」、「破」の「you can (not) advance」、「Q」の「you can (not) redo」。このアイキャッチを挟んで映画は方向性を変えるんですよね。つまり、前半は括弧部分なしなストーリーで、後半が括弧部分ありのストーリー。

「序」では「you are alone」だったシンジがアイキャッチを挟んで「you are not alone」になってゆきます。「破」でも「you can advance」していたシンジがアイキャッチ後、アスカの再起不能・レイの喪失 (どちらも未遂?) という試練に立たされます。

そして「Q」でもこの方向性は変わりませんでした。復帰直後から「エヴァに乗ります」と前向きなシンジ。周りからの冷たい反応に対して「綾波、ここだ!」と呼びかけるシンジ (このシーンは好き!)。カヲルと親しくなりネルフでの居場所を見つけ始めようとするシンジ。それは「破」で「行きなさい!」とミサトに言われたシンジでした。周りとの関係を「redo」(やり直す、修復する)しようとするシンジ。

でも、自分が引き起こしたサード・インパクトの結果を見せつけられ「can not redo」へと... それはもう畳みかける様に... 前半ですら周りの態度が冷え切っていたというのに、問答無用で修複できない現実を見せつけられるシンジ。これは心が折れます。

テレビ版と Q

「序」「破」と違って「Q」では大きなストーリー変更が入りました。それは置いといて、シンジだけに注目すると Q は序・破と同じくテレビ版をなぞっていることが分かります。具体的には

  • 三人目のレイ (綾波シリーズ初期ロット) とのすれ違い
  • カヲルとの出会い・友情・別離
  • 絶望の果ての無気力化
  • 全ての使徒殲滅後のサード・インパクト (フォース・インパクト)

これだけストーリーをいじっても根っこが同じなのは上手いですねぇ。

落ち穂拾い

  • 次回作は「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」。「𝄂」は音楽記号で終止記号を表します。しかし、終止記号の前にあるコロンも音楽記号に加えて「𝄇」とすると、反復記号を表します。序・破・Q の題名の付け方からすると、終止記号と受け取めるのが正しそうですが、エヴァですからどういう意味を持たせているのか全く分かりません。
  • ヴンダーには「しゅき」があります。私はこれを「朱鬼」とでも書くのかとずっと悩んでいたんですが、どうやら「主機」(主力エンジン) のことのようですね。
  • アスカがマリを「ホネメガネ?」「コネメガネ?」と呼んでいて、どちらが正しいか判らなかったんですが、どうやら「コネメガネ」のようです (see also. 【ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q】ホネメガネ?コネメガネ?論争に回答が出た【ネタバレなし】 | エアロプレイン - 雑学ブログメディア)
  • コード 777 (トリプル・セブン) は破の「モード反転 The Beast」の進化形? モード反転を二番目の隠しコードとすれば、三番目の隠しコードの様でかっこ良かったです。旧劇場版の「666 プロテクト」を思い出しました。ネーミング・センスが好きです。

あとがき

他にも、ミサト達はいつネルフと袂を別った?、カジさんは?、最初のレイの声は初期ロット・レイの声なのかオリジナル・レイの声なのか?、ネーメシス・シリーズって何?、11 番目の使徒はどうなった? 欠番エヴァンゲリオン (7, 10, 11, 12) はどうなった?、ネブカドネザルの鍵はどうなった?、カシウスの槍はどこから出てきた? etc. 色々と謎が残ります。きっといくつかの謎は放置なんでしょうねぇ〜。

とりあえず、三回目を観てきます。

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